豊田德明先生よりご紹介いただきました末藤と申します。祖父の代より江津湖の近くで開業しており、豊田先生と同じ東2部ですが、この区分けも残りわずかですね。
私自身は、残念ながら医師会病院で勤務した経験がありません。医師会病院の思い出といえば、私にとっては祖父が初代院長をさせていただいた病院であるということです。スタートは今から40年も前の事であり、先々代の事となると記憶も曖昧なので、当時を知るために事務局にお願いして、開設5周年の記念誌を見せていただきました。記念誌には、祖父だけでなく7月号に御寄稿いただいた柏木明先生をはじめ当時の執行部の先生方の若々しい写真や文章があり興味深い貴重な資料でした。記録によると医師会病院の開設は昭和56年とのことで、中学生であった自分には、祖父は帰りが遅いとしか記憶がありませんでしたが、今の園田寛会長の会議に次ぐ会議を知るに、こういう事だったのかと改めて会長職の多忙さを理解した次第です。
そんな祖父は、市医師会長の職を昭和61年までさせていただきました。そして昭和62年には院長職も柏木会長にバトンタッチし、その2年後に自宅で心筋梗塞を発症いたしました。当時、医学生であった私は、父の小児科クリニックに置いてあった心電計を見様見真似で使ってみて心筋梗塞を疑い、救急車で搬送してもらったのが医師会病院だったのです。当時は循環器科がなかったため熊本中央病院に転送していただき、再かん流療法の劇的な効果を患者家族として体験しました。その経験がきっかけとなり、私は循環器内科の道を進む事となります(美談でしょ)。
晩年の祖父は何度も誤嚥性肺炎を繰り返し、平成12年の秋に医師会病院に入院した際には、酸素が外せなくなりました。そして、看取りの直前に新館の落成式に車椅子で参列させていただきました。その夜から意識がなくなり数日後に他界しました。自分が開設に関わった医師会病院で最後を迎えられて満足した人生であったと思います。
さて、現在の医師会病院は本館の建て替えを控えておりますが、私も建設委員の一人として参加させていただいております。また、建設委員会には循環器内科の後輩である平井信孝先生が新病院のスペックを綿密に考えておられ、とても頼もしく思います。また、医師会病院には運営委員としても10年ほど関わらさせていただいておりますが、執行部の先生方、院長をはじめ現場のスタッフの皆さんのたゆまぬ努力によって、この病院が常に発展し続けている事に感銘をうけています。今後も色々な課題があると思いますが、私も医師会員の末席を汚す者として、医師会病院の発展に少しでもお役に立てればと思っております。さて、次回の Relay Talk は、循環器内科の後輩で東2部(笑)仲間の庄野信先生です。では、来月もまた見てくれるかな?いいとも〜懐